3人の天才が生んだ美しき器用貧乏A-20ボストン

3人の天才が生んだ美しき器用貧乏A-20ボストン
~ DB-7、ボストン、ハヴォック、A-20・・たくさんの名と顔を持つ縁の下の力持ち ~

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Levalloisbee 2016/12/11

アルジェのSAAFボストンIII
(アルジェ上空のSAAF(南アフリカ空軍)ボストンIIIのつもり、出展イラストと背景から合成)
「君の名は。」→ じゃ、とりあえずボストンで・・
この名機にして地味機の名前をなんて呼べば良いのでしょうか?多くの国で使われ、まずフランスでDB-7、次いで英国でボストン(Boston)、夜戦型はハヴォック(Havoc)、やがて生国米国でA-20ハヴォック、その夜戦型はP-70ナイトホーク(Nighthawk)・・と名前もたくさんあります。以下「ボストン」と呼びます。




大戦を通じて全戦域で9ケ国に使われたボストン
ボストンは約7500機も製造され、第二次大戦初期(1940年)から終戦まで、ほぼ全戦域(欧州、地中海、アフリカ、ロシア、太平洋)を舞台に、9ケ国で使われたベストセラーです。でも器用貧乏がたたり縁の下の力持ちにとどまった地味機でした。

ボストンはこんな飛行機
(ボストンはこんな飛行機)
ボストン生みの親は天才トリオ;ハイネマン、ノースロップ、ダグラス
DB-7/ボストンはダグラス(Donald Wills Douglas, Sr.)、ノースロップ(John Knudsen Northrop)、ハイネマン(Edward Henry Heinemann)の黄金トリオが生み、ハイネマンが仕立て上げた美しいヒコーキです。

ノルマンディCaen近郊の仏空軍A20J
(ノルマンディCaen近郊の仏空軍DB-7(A20J)のつもり)
ベンチャーが元気だった佳き時代-
1930年代の航空業界は新興産業、多くの天才、起業家、ベンチャー企業が現れM&Aも盛んで、ノースロップ社はダグラス社に吸収合併、ノースロップと若い部下ハイネマンも移籍します。ダグラス指揮下でノースロップ、ハイネマンの天才トリオが自主開発(private venture)した軽爆がModel 7。

ボストンを仕立て上げたのはハイネマン
やがてノースロップは袂を分かちノースロップ社を再興し、一方ハイネマンはダグラス社に残ってModel 7を大幅設計変更しModel 7Bへ、更にDB-7(後のボストン)へと仕上げました。

パラオのビーチのP70
(パラオのビーチをゆくP-70のつもり)
残念、B-25との競争では負け組に
まだ新興産業だった当時(1930年代)の航空機産業は、大きな潜在市場を期待する急速な技術革新と激しい企業競争の時代だったようです。5社競合の1939年の軽爆競争入札ではマーチン167(後のメリーランド)とともにボストンの雛型DB-7もNA-40(後のB-25)に敗れました。
メリーランドの過去記事です↓
メリ-ランドからバルチモアへアメリカ東部の旅ではありません

米国機“爆買い”の“カモ”がやってきた
「捨てる神あれば拾う神あり」と、そこへ折よくナチスドイツ再武装に慌てたフランス購入委員会(French Purchasing Commission)ご一行という“カモ”がやってきて、まんまと受注に成功しました。この辺はメリーランドの身の上話とそっくりですね。


ドーバーの白い崖をゆくRAFボストンIII
(ドーバーの白い崖をゆくRAF(英空軍)ボストンIIIのつもり)
フランスを逃れ北アフリカで生国に討たれる
ようやく買ったDB-7(後のボストン)がフランス空軍に配備された頃にはナチスは破竹の進撃。多勢に無勢、DB-7は北アフリカに逃れヴィシー政権軍の戦力となり、今度は連合軍北アフリカ上陸戦で壊滅します。生国に攻撃されるという皮肉な結果でした。

RAFが引き取った余り物は大当たり
あたふたとダンケルクから撤退したRAFは敗れたフランスが米国に予約購入していた多種多様なヒコーキを引き取ることになりました。多くは駄作っ機でしたが、掘り出し物もあって、その1つがDB-7(後のボストン)でした。これが使いやすいし高性能。早速ボストンと命名、RAF自身も新たにお買い上げ。でもフランス仕様はスロットルレバー(車ならアクセル)の方向が逆で困ったみたい。

最高速度
(最高速度の比較)
殴り込みならモッシーやボーの先輩です
高性能なので軽爆だけじゃもったいない、黒く塗って夜間侵攻攻撃機にしよう、機首には12丁もの機銃をつけたボストンは、名もハヴォックと改め占領下の欧州の夜に殴り込みをかけました。
まだボー(Beaufighter)は試作中、夜戦ブレニムはショボ過ぎるので重いレーダーを積んだDB-7は夜戦ハヴォックになりました。便利なその場つなぎ(stop-gap)としてボストン/ハヴォックはモッシー(Mosquito)やボーの先達なんです。でも本命ボー、モッシーが揃ったらお役御免に。


ありあわせの夜間戦闘機
ボストンにはもう1つのtop gapがあります。米軍本命夜戦P-61ブラックウィドウまでの“練習台”夜戦P-70ナイトホーク。南太平洋でちょっと使われたみたいですが、この頃にはすでに性能不足でした。

エンジン馬力比較
(エンジン馬力比較)
究極のマニアック夜戦、タービンライト、パンドラ
究極のマニアック夜戦はRAFのタービンライト作戦、ハヴォックが探照灯で敵機を照らしハリケーンが墜とすと言うもの。更に空中機雷で敵機を引っかけるパンドラ作戦にもハヴォックは狩りだされました。もちろんいずれも役立たず、器用に改造できちゃうから地味機になっちゃうんだろうか?(岡部さんの「世界の駄っ作機:番外編 蛇の目の花園2」に詳しいですよ)

仏英米露豪伯で活躍、レンドリースの申し子
ボストンは信頼性が高く使い易い、そこそこ高性能で大量生産できる→じゃ、「レンドリースしよう」(米国が連合国のために武器を生産して貸してあげる仕組み)と言うことでボストンは米英仏にソ連をはじめオーストラリア、ブラジルなどで使われました。


デザートスキームのボストンIIIdownsize
(デザートスキームのボストンIII)
ハイネマンの揺るがぬテーマ「スリム、パワフル、コンパクト」
ボストンの横顔はフツウの軽爆ですが、上から見るとまるで印象が違う。贅肉を絞った細くスリムな、直線が多いシンプルでエレガントなデザインです。ハイネマンのコンセプト(スリム、パワフル、コンパクト)が色濃く反映されているように思います。ハイネマンはMr. Attackerと呼ばれ、その設計思想はA-26インベーダー、A-1スカイレーダー、A-4スカイホークに受け継がれていますよね。
ハイネマン作品の過去記事です↓
天才航空機デザイナーエド・ハイネマンと優雅な子供たち

でも乗員の行き来は無理っぽい
当時としてはスマートで美しくユニークな素晴らしいデザイン・・・でもこれはハムデンと同じ問題を抱えていて、狭い胴体では乗員間の交替、サポート、コミュニケーションが難しいのです。その反省からか、ハイネマンは後継機A-26インベーダーではモスキートのような並列複座の操縦席としています。
それでも愛され、大戦全期間を通じて使われたんだから、ボストンはやっぱりすごいヒコーキです。

ハムデンの過去記事です↓
空飛ぶフライパンと金魚の空似 「戦闘重爆撃機」ハムデンって知ってますか?

評判の良い器用貧乏、ビッグユーザーも無頓着
どこでも「使いやすく高性能」と評判が良いボストン、でも便利過ぎて様々な任務をこなせた結果、これと言った武勇伝もなく、器用貧乏のまま地味な縁の下の力持ちに終わりました。
例えば、ボストンのほぼ半分約3000機のユーザーはソ連(現ロシア)、性能から推してきっと重宝しただろうに戦歴はまったく聞こえてきません。


ヒーローにはやっぱり中途半端なのか?ボストン
下衆の後知恵で言えばB-25くらい設計にゆとりがあるか(75mm砲を積むくらい)、モスキートくらい性能が尖がっていないと(フォッケを振り払えないと)、戦史に残り小説や映画になるような主役にはなれなかった、と言うことでしょうか?

Gを率いるJを狙え
1944年頃には、性能のいいヒコーキだけど、ツン抜けていないし、第二世代が出遅れてちょっと古くなってきたかな?の印象のボストン。
現実主義のRAFはボストンをノルマンディー上陸作戦では煙幕張りに使いました。
一方、米陸軍航空隊のA-20は大陸反攻で近接支援を担当、ソリッドノーズの多数のG型を透明機首のJ型が照準し誘導するものでしたが、直ちにドイツ側も見破り、先導するJ型に攻撃を集中したため損害を大きくしました。


結局、器用貧乏ってことかも
DB-7に始まりA-20ハヴォックまで酷使されまくった地味な何でも屋のボストン一家は天才ハイネマンのデザインが優れている一方で、任務はひたすら地味、でもちゃんと、しかもとんでもなく長期に使われた・・・、結局、器用貧乏だったのかも?

ボストンの性能・諸元
A-20G(ダグラスDB-7)
乗員 3名
全長:14.63 m 全幅:18.69 m 全高:5.36 m、翼面積::43.11m2 全備重量:10,964kg
エンジン:Wright R-2600-A5B "Twin Cyclone" 1,600hp×2基 (双発)
最大速度:546 km/h (3,050 m) 航続距離:1,690 km 実用上限高度:7,255m
武装 爆弾904kg 12.7mm機銃×9丁


出典:squadron/signal publications Aircraft No 144 “A-20 Havoc in action” Jim Mesko氏著
出典:Aero Journal hors-serie No6 “Le Bombardment Francais Tome II 1940/1945”(2004年Aero-Editions International社)
出典:世界の傑作機 No127 「ダグラス A-26 インベーダー」(2008年文林堂)


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テーマ : パリ、フランス - ジャンル : 海外情報

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