忘れられてるけど逆ガル翼のユニークな練習機マイルズ・マスター
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(マイルズ・マスター練習機はとっても蛇の目なお姿)
マイルズ・マスターって知ってます?
昔、マイルズ社(Miles Aircraft)って言うちょっと変わった、とんがった航空機メーカーがありました、英国に。合計5000馬力を駆り時速600km近くで標的を曳航する「標的曳航(専用)機」モニター(Monitor)(双発戦闘機Beau(ボーファイター)をも凌ぐ性能!)などを開発した航空機メーカーです。そのヒット作がM9マスター(Master)です。
イニシャルは「M」、マイルズ社は教育専門
マジスター(Miles M.14 Magister)、マスター(Miles M.9 Master)、マーチネット(Miles M.25 Martinet)、モニター(Miles M.33 Monitor)・・とマイルズ社が正式採用されたヒコーキは社名からでしょうか?みんなイニシャルは「M」です。そしてみんな練習機か標的曳航機、第一線でドンパチやることもなく幸せな?ヒコーキたちでした。
(マスターの三面図、逆ガル翼がユニーク、結構コンパクトです)
いかにも「蛇の目」なお姿、マスター
練習機なのに逆ガル翼、スキュア(Blackburn Skua)を連想させる変に立ち上がった風防、RAFお約束の「教官が一段高い所からダメ出し」出来る段差タンデム座席配置。でも風がキツイので教官席にはスクーターの風除けみたいなものが付いている。もう、あまりにも「蛇の目」な姿なのです、マスターは。
同じく蛇の目なベストセラー練習機タイガーモスの過去記事はこれです↓(クリックで飛びます)
金色の蛾が作るトモダチの輪: Ferete Alaisエアショー その2
前身は最新鋭戦闘機にひけを取らない試作練習機
ただ1機試作され1937年初飛行のマスターの前身、マイルズ・ケストレル(Miles Kestrel)試作練習機は最高速度が毎時475kmも出て当時デビューしたばかりのハリケーンと比べても遜色ない性能でした。逆ガル翼、立ち上がった風防、オムスビ型垂直尾翼など弟分マスターを彷彿させるデザインです。

(マスターの兄貴分、マジスター初等練習機
:英国ケンブリッジ工大DuxfordのIWM博物館で出会いました)
第二次大戦前夜にデビュー、即部隊配備
マイルズ・マスターは当時、速度や運動性など最高性能の高等練習機だったので、1939年に初飛行後、即、正式採用。第二大戦前夜の同年1939年には部隊配属デビューしました。まだ弱小メーカーだったマイルズ社の意気込みもあり、また、きな臭くなってきた国際情勢が後押ししたようです
時代ニーズにバッチリ、新興メーカーのクリーンヒット
大急ぎで近代化中のRAF(英国空軍)にとって、当時最先端戦闘機だったハリケーンやスピットファイアのためのパイロットを養成するには、もう複葉機じゃない!ハイテク練習機が要る・・と、第一線戦闘機にひけを取らない高性能のマスターはバッチリとそのニーズにはまったみたいです。

(マスターの飛行姿)
国家の非常時、いっそ戦闘機に・・・
1940年、英国存亡の危機「バトル・オブ・ブリテン」のときには、マスターはその高性能を買われ「戦闘機になるんじゃない?」と、単座にして機銃8丁を付けた「マスター・ファイター」も作られました。実戦配備には至りませんでしたが。
戦時中3000機以上作られたのに・・・
そんなマスターなのに、今では、飛行可能な機体どころか、機体そのものも博物館に1機も残っていないそうです。
(別の角度からのマジスター:なかなかかわいかったです)
兄貴分マジスターに会った
・・のです、昔、英国ケンブリッジ郊外DuxfordのIWM博物館で。マスターの先輩で愛称「マギー」。初等練習機ですが、1937年初飛行でもちゃんと単葉なんです。さすが、マイルズ社、そしてちょっとかわいい機体でした。
ライバル「ハーバード」に水を開けられた戦後
同世代ライバルのT6テキサン/ハーバードは、映画出演するは、今でもエアショーで編隊飛行してるは、で著名度が全然違うんですけど。今でも飛んでいれば結構カワイイ飛行機なんじゃないかな?マスターは。ところでこんなマイナーはマスターのプラモって今あるんでしょうか?
T-6テキサン/ハーバードの過去記事はこれです↓(クリックで飛びます)
アリグモ擬態の危うい損得勘定+多芸なT-6テキサン/ハーバード
シジュウカラは単語ではなく文章でサエズリを理解する+練習機T-6テキサン/ハーバード再び
米国スターに座を奪われ、忘れられて・・
実際1941年頃からレンドリースでT6ハーバード(テキサン)が大量、潤沢に供給され始めると、マスターはお役御免、急速に引退してゆきました(そしてみんな忘れちゃたのかな?)。
(弟分マーチネット標的曳航機、ほとんどマスター Mk 4だけど)
転職先は世界初の標的曳航専用機、マーチネット
・・って、自慢になるかどうかは分かりませんが、マスターは「副業」で射撃標的やホットスパーなど練習グライダーを引っ張っていましたので「この際標的曳航機に転職する?」ってことで、姉妹機マーチネッㇳが誕生、1500機ほどが作られました。お姿はマスターにソックリです。
思い出してあげたいな
マイルズ社も、マスターもいかにも蛇の目で個性が強かったと思いますが、ちゃんとしたメーカーであり、ヒコーキでもありました。やっぱり、マスターに会ってみたいですね。
マスターの諸元(Miles Master MkI)
乗員: 2名
全幅: 11.88 m、全長: 9.27 m、全高: 3.05 m、機体重量: 2,527 kg
エンジン: ロールス・ロイス ケストレル715 馬力
最大速度: 毎時364 km、航続距離: 800 km
武装: 7.7mm機関銃 × 1丁
出典:ウィキペディア記事(和英)「マスター」、「マーチネット」、「マジスター」、「マイルズ・エアクラフト」
出典: 航空情報臨時増刊No.138「第2次大戦イギリス軍用機の全貌」昭和36年(酣燈社)
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過去の記事リストは下のイラストをクリック ↓ (日本国内と南の島の記事は「ヨーロッパの話題」にまとめています)





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(マイルズ・マスター練習機はとっても蛇の目なお姿)
マイルズ・マスターって知ってます?
昔、マイルズ社(Miles Aircraft)って言うちょっと変わった、とんがった航空機メーカーがありました、英国に。合計5000馬力を駆り時速600km近くで標的を曳航する「標的曳航(専用)機」モニター(Monitor)(双発戦闘機Beau(ボーファイター)をも凌ぐ性能!)などを開発した航空機メーカーです。そのヒット作がM9マスター(Master)です。
イニシャルは「M」、マイルズ社は教育専門
マジスター(Miles M.14 Magister)、マスター(Miles M.9 Master)、マーチネット(Miles M.25 Martinet)、モニター(Miles M.33 Monitor)・・とマイルズ社が正式採用されたヒコーキは社名からでしょうか?みんなイニシャルは「M」です。そしてみんな練習機か標的曳航機、第一線でドンパチやることもなく幸せな?ヒコーキたちでした。

(マスターの三面図、逆ガル翼がユニーク、結構コンパクトです)
いかにも「蛇の目」なお姿、マスター
練習機なのに逆ガル翼、スキュア(Blackburn Skua)を連想させる変に立ち上がった風防、RAFお約束の「教官が一段高い所からダメ出し」出来る段差タンデム座席配置。でも風がキツイので教官席にはスクーターの風除けみたいなものが付いている。もう、あまりにも「蛇の目」な姿なのです、マスターは。
同じく蛇の目なベストセラー練習機タイガーモスの過去記事はこれです↓(クリックで飛びます)
金色の蛾が作るトモダチの輪: Ferete Alaisエアショー その2
前身は最新鋭戦闘機にひけを取らない試作練習機
ただ1機試作され1937年初飛行のマスターの前身、マイルズ・ケストレル(Miles Kestrel)試作練習機は最高速度が毎時475kmも出て当時デビューしたばかりのハリケーンと比べても遜色ない性能でした。逆ガル翼、立ち上がった風防、オムスビ型垂直尾翼など弟分マスターを彷彿させるデザインです。

(マスターの兄貴分、マジスター初等練習機
:英国ケンブリッジ工大DuxfordのIWM博物館で出会いました)
第二次大戦前夜にデビュー、即部隊配備
マイルズ・マスターは当時、速度や運動性など最高性能の高等練習機だったので、1939年に初飛行後、即、正式採用。第二大戦前夜の同年1939年には部隊配属デビューしました。まだ弱小メーカーだったマイルズ社の意気込みもあり、また、きな臭くなってきた国際情勢が後押ししたようです
時代ニーズにバッチリ、新興メーカーのクリーンヒット
大急ぎで近代化中のRAF(英国空軍)にとって、当時最先端戦闘機だったハリケーンやスピットファイアのためのパイロットを養成するには、もう複葉機じゃない!ハイテク練習機が要る・・と、第一線戦闘機にひけを取らない高性能のマスターはバッチリとそのニーズにはまったみたいです。

(マスターの飛行姿)
国家の非常時、いっそ戦闘機に・・・
1940年、英国存亡の危機「バトル・オブ・ブリテン」のときには、マスターはその高性能を買われ「戦闘機になるんじゃない?」と、単座にして機銃8丁を付けた「マスター・ファイター」も作られました。実戦配備には至りませんでしたが。
戦時中3000機以上作られたのに・・・
そんなマスターなのに、今では、飛行可能な機体どころか、機体そのものも博物館に1機も残っていないそうです。

(別の角度からのマジスター:なかなかかわいかったです)
兄貴分マジスターに会った
・・のです、昔、英国ケンブリッジ郊外DuxfordのIWM博物館で。マスターの先輩で愛称「マギー」。初等練習機ですが、1937年初飛行でもちゃんと単葉なんです。さすが、マイルズ社、そしてちょっとかわいい機体でした。
ライバル「ハーバード」に水を開けられた戦後
同世代ライバルのT6テキサン/ハーバードは、映画出演するは、今でもエアショーで編隊飛行してるは、で著名度が全然違うんですけど。今でも飛んでいれば結構カワイイ飛行機なんじゃないかな?マスターは。ところでこんなマイナーはマスターのプラモって今あるんでしょうか?
T-6テキサン/ハーバードの過去記事はこれです↓(クリックで飛びます)
アリグモ擬態の危うい損得勘定+多芸なT-6テキサン/ハーバード
シジュウカラは単語ではなく文章でサエズリを理解する+練習機T-6テキサン/ハーバード再び
米国スターに座を奪われ、忘れられて・・
実際1941年頃からレンドリースでT6ハーバード(テキサン)が大量、潤沢に供給され始めると、マスターはお役御免、急速に引退してゆきました(そしてみんな忘れちゃたのかな?)。

(弟分マーチネット標的曳航機、ほとんどマスター Mk 4だけど)
転職先は世界初の標的曳航専用機、マーチネット
・・って、自慢になるかどうかは分かりませんが、マスターは「副業」で射撃標的やホットスパーなど練習グライダーを引っ張っていましたので「この際標的曳航機に転職する?」ってことで、姉妹機マーチネッㇳが誕生、1500機ほどが作られました。お姿はマスターにソックリです。
思い出してあげたいな
マイルズ社も、マスターもいかにも蛇の目で個性が強かったと思いますが、ちゃんとしたメーカーであり、ヒコーキでもありました。やっぱり、マスターに会ってみたいですね。
マスターの諸元(Miles Master MkI)
乗員: 2名
全幅: 11.88 m、全長: 9.27 m、全高: 3.05 m、機体重量: 2,527 kg
エンジン: ロールス・ロイス ケストレル715 馬力
最大速度: 毎時364 km、航続距離: 800 km
武装: 7.7mm機関銃 × 1丁
出典:ウィキペディア記事(和英)「マスター」、「マーチネット」、「マジスター」、「マイルズ・エアクラフト」
出典: 航空情報臨時増刊No.138「第2次大戦イギリス軍用機の全貌」昭和36年(酣燈社)
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