ニューロマジック、手品に学ぶ脳神経科学(その1)錯覚を操る技(前編)
ニューロマジック、手品に学ぶ脳神経科学(その1)錯覚を操る技(前編)

(マジシャンと脳科学者が手を組んでニューロマジック研究は生まれました)
<ミッキーとルードヴィヒ・フォン・ドレイク卿をちょっとお借りしています>
あーら、フシギ!コインが消えた
スポットライトを浴びたマジシャンの手にはピカピカのコインが1枚、「エイ」と掛け声、一瞬で手からコインが消えた。次に何も持っていなかった(開いて見せた)方の手からコインが“復活”します。

(コインが消えるマジックは残像の利用です)
眼の残像がコインの行方を隠す
観客の目にはスポットライトを浴びて輝くコインの残像が数分の1秒残っています。マジシャンはその間に素早く別の手にコインを移してしまうので、観客には「コインが消えた」と見えます。

(おとぎ話の家のような記念館)
バルセロナ過去記事はこれ→憧れのガウディに会いに行く南欧バルセロナ
“持ってるふり”で観客の視線を操る
このときマジシャンは「コインを持っていたけど既に空」の手は握っている形に、に「コインをそっと移した」手は何も持っていない風に保ちます。
こうするとヒトは“緊張しているから何かをしているはず”の元の手に視線が釘付けになり、“リラックス
して何もしていないはず”の手からコインが出て驚きます。これが「フェイクダイレクション」です。

(この生き物は何だろう)
別のバルセロナ過去記事はこれ→体温を感じるガウディの建物バルセロナ紀行後編
相手の動きに注目すると周りが見えなくなる
ヒトは行動している相手の動きに視線や注意が集中させます。しかし、その代償として視野の他の部分は眼で見えても脳が見ていないので意識にのぼらず、注意も払いません。
だからマジシャンのトリックが“見えない”し、予想外の手の方からコインが復活して“驚く”のです。

(テラス「ギリシャ劇場」からの眺望)
真ん中以外は本当はぼやけてるヒトの眼
ヒトが眼で身の周りを見るとき、正確に詳細が見える解像度が高い部分は網膜の真ん中、中心窩のごく狭い範囲だけで、周囲の視野は常にぼやけ解像度は極めて低いそうです。まっすぐ正面の何か凝視しながら視野の端にかざしたカードが何なのか、その数字さえ分からないはずです。

(粉砕タイルの天井モザイク)
常にチラっ見して周辺の低解像度を補う
それでも身の周りの光景はくっきり見えていると意識され、記憶されます。眼球は、まるでレーダーアンテナのように、常に無意識に動いて視界全体をスキャンし狭いが解像度の高い像のパーツを組み合わせ合成画像を創り出しています。

(ケーキを乗せたような階上部分)
時間差を感じないように脳は画像編集する
もちろん眼のスキャンには時間がかかるのですが、時間差を感じません。今みている光景はその後のスキャンされた光学情報で補完されるのですが、「瞬時の像」として意識されます。でも実際はコンマ何秒か時差のある多くの像の合成画像が“今見ていると実感される”視野、光景なのです。

(トカゲの後ろ姿)
こうして「残像」は生まれる
今見た光景(視覚刺激)は脳の合成編集のために一瞬そのまま保持されます、これが「残像」です。残像のおかげで同時ではない視覚像を合成しても滑らかな光景や記憶となります。残像のおかげで私たちは本来ならストロボのように点滅している映画やTVでも眼の残像が残る時間より短い点滅なので連続した動画として楽しめます。

《3D外界→2D網膜→3D脳内ヴァーチャル》
以前の記事→脳が創り出す「マトリックス」な世界 + 南仏の赤い村ルシヨン
2次元画像を3D編集するとき錯視が起きる
ヒトの網膜は2次元なので、脳は両眼視差や遠近法の原理を使って眼からの画像を3D画像として編集します。これらの原理からちょっとズレると錯視がおきます。

(見事な空間デザインの入口)
脳が理解できる絵になるようテキトウに改ざんする
脳は周囲の環境(見聞きすること、周りの様子、起こっていること)を“自分なりに理解できる”ように(その人の「常識」に外れないように)を編集し、時に改ざんし、時にはテキトウに埋めてから「意識」します。だから同じ場面に出会ってもあなたとわたしでは「見ている」と思うものが違うことも多々あります。

《山の端の月が大きく見える錯視》
以前の記事→脳が創り出す「マトリックス」な世界 + 南仏の赤い村ルシヨン
気になる物だけ見て見えない部分はデッチ上げ
視覚は注意を払っていない物、興味のない物は無視し、見えない部分は“経験”で補い“でっち上げ”ます。私たちは日々、本当の現実や事実を見ているわけではありません。あなたと私では脳が見ている光景が違うかも知れないのです。

(パックマンが作る幻の三角形は錯視です)
パックマンが作る幻の三角形
錯視の有名な例として、120度ずつ傾いたパックマンの切欠きラインが揃った位置にあるなら、ないはずの“白い三角形”が見えます。
大木の左右に頭と尾が見えれば1匹の動物が隠れていると確信します(2匹かも知れないのに)。
ご興味あれば「続きを読む」をクリックください↓
過去の記事リストは下のイラストをクリック ↓ (日本国内と南の島の記事は「ヨーロッパの話題」にまとめています)





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(マジシャンと脳科学者が手を組んでニューロマジック研究は生まれました)
<ミッキーとルードヴィヒ・フォン・ドレイク卿をちょっとお借りしています>
あーら、フシギ!コインが消えた
スポットライトを浴びたマジシャンの手にはピカピカのコインが1枚、「エイ」と掛け声、一瞬で手からコインが消えた。次に何も持っていなかった(開いて見せた)方の手からコインが“復活”します。

(コインが消えるマジックは残像の利用です)
眼の残像がコインの行方を隠す
観客の目にはスポットライトを浴びて輝くコインの残像が数分の1秒残っています。マジシャンはその間に素早く別の手にコインを移してしまうので、観客には「コインが消えた」と見えます。

(おとぎ話の家のような記念館)
バルセロナ過去記事はこれ→憧れのガウディに会いに行く南欧バルセロナ
“持ってるふり”で観客の視線を操る
このときマジシャンは「コインを持っていたけど既に空」の手は握っている形に、に「コインをそっと移した」手は何も持っていない風に保ちます。
こうするとヒトは“緊張しているから何かをしているはず”の元の手に視線が釘付けになり、“リラックス
して何もしていないはず”の手からコインが出て驚きます。これが「フェイクダイレクション」です。

(この生き物は何だろう)
別のバルセロナ過去記事はこれ→体温を感じるガウディの建物バルセロナ紀行後編
相手の動きに注目すると周りが見えなくなる
ヒトは行動している相手の動きに視線や注意が集中させます。しかし、その代償として視野の他の部分は眼で見えても脳が見ていないので意識にのぼらず、注意も払いません。
だからマジシャンのトリックが“見えない”し、予想外の手の方からコインが復活して“驚く”のです。

(テラス「ギリシャ劇場」からの眺望)
真ん中以外は本当はぼやけてるヒトの眼
ヒトが眼で身の周りを見るとき、正確に詳細が見える解像度が高い部分は網膜の真ん中、中心窩のごく狭い範囲だけで、周囲の視野は常にぼやけ解像度は極めて低いそうです。まっすぐ正面の何か凝視しながら視野の端にかざしたカードが何なのか、その数字さえ分からないはずです。

(粉砕タイルの天井モザイク)
常にチラっ見して周辺の低解像度を補う
それでも身の周りの光景はくっきり見えていると意識され、記憶されます。眼球は、まるでレーダーアンテナのように、常に無意識に動いて視界全体をスキャンし狭いが解像度の高い像のパーツを組み合わせ合成画像を創り出しています。

(ケーキを乗せたような階上部分)
時間差を感じないように脳は画像編集する
もちろん眼のスキャンには時間がかかるのですが、時間差を感じません。今みている光景はその後のスキャンされた光学情報で補完されるのですが、「瞬時の像」として意識されます。でも実際はコンマ何秒か時差のある多くの像の合成画像が“今見ていると実感される”視野、光景なのです。

(トカゲの後ろ姿)
こうして「残像」は生まれる
今見た光景(視覚刺激)は脳の合成編集のために一瞬そのまま保持されます、これが「残像」です。残像のおかげで同時ではない視覚像を合成しても滑らかな光景や記憶となります。残像のおかげで私たちは本来ならストロボのように点滅している映画やTVでも眼の残像が残る時間より短い点滅なので連続した動画として楽しめます。

《3D外界→2D網膜→3D脳内ヴァーチャル》
以前の記事→脳が創り出す「マトリックス」な世界 + 南仏の赤い村ルシヨン
2次元画像を3D編集するとき錯視が起きる
ヒトの網膜は2次元なので、脳は両眼視差や遠近法の原理を使って眼からの画像を3D画像として編集します。これらの原理からちょっとズレると錯視がおきます。

(見事な空間デザインの入口)
脳が理解できる絵になるようテキトウに改ざんする
脳は周囲の環境(見聞きすること、周りの様子、起こっていること)を“自分なりに理解できる”ように(その人の「常識」に外れないように)を編集し、時に改ざんし、時にはテキトウに埋めてから「意識」します。だから同じ場面に出会ってもあなたとわたしでは「見ている」と思うものが違うことも多々あります。

《山の端の月が大きく見える錯視》
以前の記事→脳が創り出す「マトリックス」な世界 + 南仏の赤い村ルシヨン
気になる物だけ見て見えない部分はデッチ上げ
視覚は注意を払っていない物、興味のない物は無視し、見えない部分は“経験”で補い“でっち上げ”ます。私たちは日々、本当の現実や事実を見ているわけではありません。あなたと私では脳が見ている光景が違うかも知れないのです。

(パックマンが作る幻の三角形は錯視です)
パックマンが作る幻の三角形
錯視の有名な例として、120度ずつ傾いたパックマンの切欠きラインが揃った位置にあるなら、ないはずの“白い三角形”が見えます。
大木の左右に頭と尾が見えれば1匹の動物が隠れていると確信します(2匹かも知れないのに)。
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