縄文人は海鮮グルメ、おこげが語る世界最古+北フランス、ドーヴィルの雨


縄文人は海鮮グルメ、おこげが語る世界最古+北フランス、ドーヴィルの雨
鈍色の空を仰ぐ冬のドーヴィルは人影もまばら、名画「男と女」の幽かな残り香が・・・


駅近くロータリーに面したピンクの家downsize
(ドーヴィル駅近くのロータリーに面したピンクの家と曇り空、ノルマンディーに来たと感じます)




土器を使った世界最古の縄文シーフード料理(1万4千年前)
最初の石狩鍋らしい
(最初の石狩鍋か?)
日欧の研究チームが縄文遺跡で発掘された新石器時代初期(縄文初期)の約1万4000年前の土器破片(まだ縄模様のない無文土器)から魚の調理跡を見つけました。「土器を煮炊きに使った証拠」としては“世界最古!”だそうで、縄文の人々はシーフードグルメだったと言うサイエンス小ネタです。

日本人のルーツの過去記事はここをクリック↓
DNAに見る人類史に類を見ない日本人の優しさ-心が優しくなる三冊の本(1)

ドーバー海峡の街、北仏ドーヴィル
ヨットが静かに舫うオフシーズンのマリーナdownsize
(ヨットが静かに舫うオフシーズンのマリーナ)
写真はシーフードつながりで北フランス、ノルマンディー地方の海辺の街ドーヴィル(Deauville)です。

ドーヴィル過去記事はここをクリック↓
冬のノルマンディーはフランス名画の香り

事始めは「大森貝塚」
1877年モース氏(Edward Sylvester Morse)が発見した有名な縄文遺跡(縄文後期)、大森貝塚から最初に縄文土器が見つかりました。同時に縄文人がシーフード(貝)を食べていたことも明らかになりました。
ノルマンディーの伝統家屋が多く残る街並みdownsize
(ノルマンディーの伝統家屋が多く残る街並み、門柱のサインがシャレてるなぁ)

縄文ディナーは刺身か、煮魚か
学校で習ったときは“縄文人がシジミ汁をすすっている”光景を素朴に想像していました。しかし、「貝などシーフードを調理して食べたのか」、「調理器具は何か」は意外にも最近まで分らなかったようです。
雨宿りのレストランの客は地元のオバちゃんだけdownsize
(雨宿りのレストランの客は地元のオバちゃんだけ、「異邦人」を味わいました)

意外なことに謎だった縄文土器の用途
日本の新石器時代初期(いわゆる縄文時代)の特徴の1つ、縄文土器は古くからよく研究されてきましたが、親戚筋の東アジアの土器も含めて、その調理利用については今一つ確証はなかったようです。
北の地で栄えた縄文集落
(北の地で栄えた縄文の集落)

脂質の「おこげ」を分析する
土器のうち、特に底の尖ったタイプは(水瓶には不向きだし)調理器具ではないか、と考えられてきたようです。そこでヨーク大学Oliver E. Craig氏と日本の研究チームが縄文土器破片の炭化沈着物、つまりは「おこげ」を分析したら魚の脂質が見つかったそうです。この土器が出土した遺跡は北海道帯広市の大正遺跡群「大正3」遺跡です。なので魚は多分サケらしい・・・と。

童話に出てきそうなファンタジーな家downsize
(童話に出てきそうなファンタジーな家、でも車が頻繁に通ります)
脂質と脂肪は違います
水に溶けない生体分子はまとめて「脂質(lipid)」と呼ばれます。
脂肪も脂質で脂肪酸とグリセリンからできていますが、脂質にはほかにリン脂質など細胞膜を構成するものも含まれ、脂質は広く全身に存在します。脂質の主な構成要素である脂肪酸にはたくさんの種類があり脂質も多種多様です。


生き物の種類で異なる脂肪酸組成
脂質や脂肪酸は、食べ物の種類によって、生活する環境によって、また、進化がたどってきたいきさつによっても、生き物の種類が違えばその種類や構成が異なります。

マリーナに舫うヨットたちdownsize
(マリーナに舫うヨットたち)
冷たい水でも固まらないDHA
例えば、変温動物である魚は水温と体温が同じです。冷水域に棲む魚の細胞膜の脂質はラードのように固まっては困るので低温でもサラサラの不飽和脂肪酸が多く含まれます。ドコサヘキサエン酸(DHA)などは健康食品として有名ですね。

シーフードの痕跡を分析する
「脂質のおこげ」を分析してその脂肪酸の種類が分れば、調理した食物がシカなど動物なのか、サケなど魚なのか、が分るはずです。(実際にどのように分析したかは、残念ながら原典のNature論文に確認していませんが(購読料がかかるので))

窓ガラスのメニューの向こうは鉛色の空downsize
(窓ガラスのメニューの向こうは鉛色の空)
「土器の道」?東アジアが土器のルーツ?
土器は東アジアで生まれ、東へ、そして日本に伝わり、当初の無文土器から縄文土器、貝文土器、弥生土器と洗練されてゆきました。同時に土器は西へ、やがてヨーロッパへも伝わっていったと考えられているようです。

栗の花粉が教える縄文の果樹園
同じく縄文遺跡の青森県の三内丸山遺跡からは栗の花粉が大量に見つかりました。栗は虫媒花で杉のように花粉をまき散らしませんから、大量の花粉が意味するのは集落周辺を開墾し栗の木を植林した果樹園です。縄文の人々は大規模に農業を営んでいたようです。

立ち寄った街外れのカフェdownsize
(ふと、立ち寄った街外れのカフェ)
縄文海進で栄えた三内丸山
氷期が終わって海面が上昇した縄文海進により入り江と森林に面した青森県の三内丸山は理想的な立地で2000年栄えたそうです。

海辺に戻ってきた大森貝塚の人びと
しかし、やがて寒冷化とともに海岸線は後退し(小海退)、集落は長野県など南へ、内陸へと移ってゆきました。大森貝塚は寒冷化で木の実などが不足し、再び海岸に出てシーフードを糧とした縄文後期(晩期)にあたります。

ドーヴィルの地図
(ドーヴィルの地図)
縄文シーフードは日本食文化のルーツ?
「縄文人のシーフードグルメ文化」は、長い時といくつもの時代を経ても「海の幸」として脈々と受け継がれ、今日の“シーフード大好き!”の「日本の食文化」に繋がっているのでしょうね。

だから・・・シーフード大好きのLevalloisbeeとしてはこの話題を書いて見たかったのです。


この記事の元ネタ
出典: natureダイジェスト 2013年7月号 p.30 “A potted history of Japan” 「日本の縄文土器は、調理に使われていた!」 Simon Kaner氏執筆
原典論文: Craig, O. E., nature 2013/04/18号 Vol. 496 (p.302-303)
関連記事: 「土器の煮炊き跡、世界最古=1万4000年前、北海道の縄文式-日欧チーム」時事通信(2013年4月11日)http://www.jiji.com/jc/zc?k=201304/2013041100039


その他の出典
出典: 「気候文明史」 2010年 田家康氏著(日本経済新聞社)
出典: “Why Geese Don’t Get Obese” 「空飛ぶガチョウはなぜ太らないか」1998 Eric P. Widmaier氏著、今福道夫氏訳 (2000年 化学同人)
出典: 「DNAでたどる日本人10万年の旅/多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?」2008年、崎谷満氏著(昭和堂)
関連記事: 「中国で最古2万年前の土器発見 焦げ跡、料理に使う?」2012/06/29 共同通信
http://www.47news.jp/CN/201206/CN2012062801001721.html


↓良かったらクリックをお願いします


フィリピンの孤児たちを支援しておられるZenさんのブログです。
LIFE IS A TEST
そのために私たちが出来る支援としてZenさんのネットショップをご紹介します。何かご購入を頂ければフィリピンの孤児たちを支える力にもなります。
Zenさんのネットショップ「breakerbeat」

東松島市の仮設住宅の方々の工芸品ご紹介のブログにリンクしています
banner-himawari2.jpg

「東北関東大震災」支援クリック募金

スポンサーサイト

テーマ : パリ、フランス - ジャンル : 海外情報