ベンチャー成上りの礎は丸っこくかわいいハドソン機 空(そら)物語その3

ベンチャー成上りの礎は丸っこくかわいいハドソン機 
空(そら)物語その3


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スピットとツーショットのエレクトラジュニアREVdownsize
(スピットとツーショット、ハドソンの兄弟L-12エレクトラジュニア)
「空(そら)物語その3」は丸っこくてかわいく地味に働いたくせに巨大企業の礎を築いた「ハドソン物語」です。ハドソンの良い写真が少ないので兄弟のL-12エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)などが“友情出演”です。

過去の「空(そら)物語」はここをクリック↓
美しくあまりにも個性的なWhirlwind機と天才Petter
空(そら)物語と飛ぶことの実感+Spit出演

ベンチャーを巨大企業に導いたハドソン
革新的だった空飛ぶ金魚Hudson
(革新的だった空飛ぶ金魚ハドソン)
倒産寸前の新興ベンチャーのロッキード社(Lokheed)はRAF(Royal Air Force、英国空軍)からハドソン哨戒機(Hudson)の初めての大量受注に成功、起死回生し、やがて巨大航空企業となるロッキード社、現在のロッキード・マーティン社(Lockheed Martin)となる礎を築きます。




名機を生んだ目利きの『お買い物ツアー』
カンガルーがかわいいRAAFのハドソンdownsize
(カンガルーがかわいいオーストラリア空軍のハドソン)
1936年、「目ぼしいヒコーキなら何でも買ってこい」と全権委任された英国の訪米航空機調達団(British Purchasing Commission)はこのとき他にも、後に稀代の名機となるP-51ムスタング(Mustang)を発注しているから、とても目利きが良かったんでしょう。

大戦間のベンチャーブーム、新興航空機メーカー
Ferte Alaisエアショーで一休みのエレクトラジュニアdownsize
(パリ郊外Ferte Alaisエアショー、一休み中のエレクトラジュニア)
RAFの哨戒機などで活躍したロッキード・ハドソンのもとはロッキードL-14スーパーエレクトラ旅客機(Super Electra)で、そのロッキード社はロッキード兄弟(Allan & Malcolm Loughead)が1912年に興した大戦間に生まれた多くの新興航空機メーカーの1つで、この頃の航空界はまるで20世紀後半のバイオベンチャーブームのようです。

姿は丸っこいけどトンがった性能のハドソン
エアライナー出身が役立ったHudson
(エアライナー出身が役立ったハドソン)
1938年初飛行し会社発展の礎を築いたハドソンはまん丸っこくってかわいい外見です。それでも大戦前夜当時としてはかなり進んだヒコーキでした。

マニアックな記事なのにちょっと長いです。ご興味あれば続きを・・・

技術革新と新進気鋭デザイナーのベンチャー魂
古き佳き時代のエアライナーのマグネットREVdownsize
(古き佳き時代のエアライナーのマグネット、ずっと昔アメリカの空港で買いました)
1920-1930年代はちょうど飛行機の性能もライト兄弟の複葉から単葉へ、木組み布張りから応力金属外皮に、更には高出力エンジン、引き込み脚などが現れた革新期で、実用性が証明されたヒコーキには民間航空路エアライナーと言う新しいマーケットも開けつつあった頃です。そこに新進気鋭のデザイナーによるベンチャー魂に溢れた新興航空機会社が数多く参入した時期です。

歴史的名機ベガでも1機しか売れない
エラクトラジュニアの影で休憩のオジさんdownsize
(エラクトラジュニアの影で休憩のオジさん、パリ郊外Ferte Alaisエアショーにて)
新興ロッキード社初期の力作、ベガ機(Vega)は単葉単発の高性能機、女性冒険飛行家アメリア・イアハート(Amelia M. Earhart)の乗機となり歴史に名も遺したけどたった1機しか売れず商売としては完全に失敗。あ~ぁ、経営の危機!

ハドソンこそ起死回生の最後のチャンスだった
ハドソンの参考資料ですdownsize
(ハドソンの参考資料です、ハドソンだけで1冊の本になってます)
その後、ロッキード社は2回も潰れて、1回は買収され、やっと若干の投資を受けて一息つき、このハドソン売り込みが唯一起死回生の最後のチャンスだったようです。

不良在庫を売るには「すぐ出来ます」の大見得で・・
信頼のサイクロンエンジンdownsize
(信頼のサイクロンエンジン)
さてこのハドソン、何のことはない、売れなくて困っていた旅客機エレクトラの改良型スーパーエレクトラ(L-14)が元ネタです。1936年に英国の訪米航空機調達団が突然ロ社を訪問、そのとき「すぐできます」と大見得を切って1週間で図面を引いて哨戒機に仕立てて売り込んじゃったそうです。改造設計に普通は最短で数か月はかかるそうですから、倒産の危機だったとは言えかなりのハッタリですね。

今や常識のインテグラルタンク事始めはハドソンです
那覇空港で出会ったハドソンの跡を継ぐ者オライオンREVdownsize
(那覇空港で出会ったハドソンの跡を継ぐ者オライオン)
今では空港で「エアライナーの主翼にパイプを付けて給油」は当たり前の光景だけど、当時は最先端技術。もとのL-14スーパーエレクトラはインテグラルタンク(integral tank、翼と一体構造になった燃料タンク)を初めて装備したエアライナーでした。軽量化で航続性能などが格段に良くなるそうです。

脱出口が1つ余りますけど・・・
ハドソンの客室アdownsize
(ハドソンの客室ドア、この機には救命ボートはついてません)
それにエアライナー出身のためハドソンは意外な点で評判が良かったようです。4人乗りなのに緊急脱出口が5か所もあるからどんな状況になっても脱出手段が確保されます。これは速度や航続距離のようなカタログ性能にはない利点だったようです。

いざと言う時の救命ボート付きドア
RAF博物館Costal Command機の模型展示downsize
(RAF博物館Costal Command機の模型展示、ハドソンはない、駄作機ウォーウィックはあるのに)
更にハドソン後期型では、胴体扉(つまり客室ドア)は緊急時に自動的に機外に飛び出し救命ボートになる仕掛けが付きました。

女王陛下の007飛行、銀ピカのエレクトラ・ジュニア
銀ピカのエレクトラジュニア発進ですdownsize
(銀ピカのエレクトラジュニア発進です)
スパイ大好きの007の英国は写真偵察(PR, Photo Reconnaissance)、つまりはスパイ飛行、に力を入れていてシドニー・コットン卿(Sidney Cotton)がPR unit(写真偵察部隊)を創設して、大戦前夜から当時の仮想敵国、ドイツ、ソ連の領空内深く偵察機を飛ばしてました。その1機が銀ピカ、国籍マーク無しのハドソンの兄弟L-12エレクトラ・ジュニア(民間登録番号N12EJ)でした。とってもアヤしいなぁ。

短距離離着陸の当時最先端のシカケとは?
STOL性能の肝はロッキード式ファウラーフラップdownsize
(STOL性能の肝はロッキード式ファウラーフラップ)
ハドソンのチャームポイント、主翼から張り出すブームはフラップを下すためのガイドです。ハドソンにはロッキード自慢のファウラーフラップと前縁スロットのおかげで短い距離で離着陸できる、今で言うところのSTOL性能がありました。これがまた意外なところで幸いします。

時代先取りのSTOL性能でミッション・インポッシブル
デビュー当時は最新鋭哨戒機でもやがてより高性能なリベレーターやウエリントンに職を奪われてしまいます。そこで前線でも使えるSTOL性能を買われて特殊作戦輸送機に転職したらまた活躍。もとの輸送機に戻っただけなんですけどね。同じく失業対策のライサンダーと一緒にスパイ降下作戦(ミッション・インポッシブルみたいな)もやっていたみたいですよ。

ハドソンが切り拓いた大西洋横断フェリー飛行
スーパーコニーのカレンダーREVdownsize
(スーパーコニーはハドソンがなれなかったエアライナー主役の夢を叶えた後輩、何年も前のカレンダーですが気に入って飾っています)
アメリカでハドソンをどんどん作り始めたけどイギリスまでどうやって運ぶ?大西洋を越えるのも今ならジェットで一っ飛びですが、当時は大冒険。ハドソン機は初めて船を使わずとも大西洋を横断するフェリー飛行で運べることを立証し、その後は何千機ものレンドリース機がハドソンに続きました。

意外にあるハドソン武勇伝
長らくほったらかしのAirfixハドソンプラモdownsize
(長らくほったらかしのAirfixハドソンのプラモ、早く作ってあげなくちゃ)
地味な任務のはずのハドソンは意外にも数々の武勲を立てています。アルトマルク号捕虜救出作戦のきっかけを作り、戦艦ビスマルク号を追跡し、最初にドイツ機を墜とし、最初にロケット弾でU-ボートを攻撃、北アフリカのドイツ陣内深く進出したハリケーン部隊への隠密補給(いかにも英国)、などなど。

哨戒機では「無事これ名馬か?」
哨戒機って大事だけどとっても地味な仕事。さるサンダーランド飛行艇のベテラン機長の手記では「大戦を通じて哨戒任務を遂行し一度も敵との交戦はなかった、でも機影を見せるだけでU-ボートを潜航させ、攻撃を回避できた」とあります。ハドソンも多くはこのように地味だったのでしょうね。

Lockheed Hudson I のデータ
機体 全長:19.96 m、全幅:14.33 m、全高:4.80 m、翼面積:51,19 ㎡
エンジン Wright Cyclone 1,100hp×2基(双発)
性能 最大速度:246mph (396 km/h)、航続距離:1,700miles(2,740km)
乗員 4名


出典: “Lockheed Hudson in World War II” 1999年 Andrew Hendrie氏著 (Airlife Publishing Ltd.出版)
出典: “Eyes of the RAF; A History of Photo-Reconnaissance” 1996年 Roy Conyers Nesbit氏著 (Alan Sutton Publishing Ltd.出版)
出典: 「世界の駄っ作機 番外編 蛇の目の花園2」 2010年 岡部いさく氏著 (大日本絵画 出版)
出典: “Lend-Lease Aircraft in World War II” 1996年 Arthur Pearcy氏著 (Airlife Publishing Ltd.出版)


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テーマ : パリ、フランス - ジャンル : 海外情報